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明安図

明安図
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生誕 1692年
正白旗中国語版内モンゴル自治区シリンゴル盟
死没 1763年
別名 静庵(
職業 数学者天文学者
著名な実績 カタラン数割円連比例中国語版
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割圜密率捷法中国語版
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明安図による三角関数の級数展開の図。
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カタラン数の発見(『割圜密率捷法』)。

明 安図(めい あんと[1]明安圖ミンガト[2]: Мянгат; モンゴル文字:ᠮᠢᠩᠭᠠᠲᠦ簡体字: 明安图; 繁体字: 明安圖; 拼音: Míng'āntú1692年 - 1763年[3][注 1])はモンゴル人天文学者数学者地図学者である[3]静庵

経歴

清の正白旗中国語版内モンゴル自治区シリンゴル盟南部)に生まれた。1710年、欽天監中国語版の学生に選出された[3]イエズス会宣教師らにより改暦が成されていたころに欽天監で働いた[6]天文学においてはティコ・ブラーエの影響を受けた[7]。暦の作成と編纂、渾天儀の研究に携わった。その後欽天監監正中国語版を務めた。

明安図の『割圜密率捷法中国語版』は、没後に息子の明新や門人の陳際新らの定稿を経て、上梓された[7]中国の数学の発展に大きな影響を与えた書であった。

明安図は内モンゴルにおいて無限級数を計算し、10つを超える公式を得た初の人物であった。1730年代、現代ではカタラン数として知られる数を初めて確立させた[8]。明安図や董祐誠中国語版項名達中国語版戴煦の作品には、ユークリッド的な比例の概念、級数四則演算級数の反転英語版二項定理など、イエズス会宣教師から伝えられた西洋の数学の跡が数多く見られる[9]。明安図による三角関数対数関数の無限級数展開の計算は代数学的・帰納的であり、微積分を用いなかった[10]

1737年から1742年まで、明安図は『暦象考成後編』の編纂に携わった[7]。1755, 1756年頃、乾隆帝下の清に属したジュンガル(後の新疆)の測量に参加した。何国宗中国語版を筆頭とし、明安図や劉統勲中国語版の活躍によって『西域図志中国語版』が完成した[11]

後世

三上義夫 (1910) によれば、明安図は解析的方法の分野に関わった初の中国人である[12]

ダービー大学英語版P. J. Larcombe は1999年に明安図に関する7本の論文を発表した。1700年初頭に無限級数を中国に持ち込み明安図に教えた宣教師ピエール・ジャルトゥー中国語版による影響についても記載されている[12]

2002年5月26日、北京天文台CCD小惑星観測プログラムによって発見された小惑星28242に明安図の名が命名された[13][14]

2002年8月、明安図に因んで命名された行政区明安図鎮中国語版で、明安図の科学的貢献に関するシンポジウムが開催された[15]

脚注

注釈

  1. ^ 1692-1764とする文献[2]、1692-1765とする文献[4]、1685-1770とする文献[5]、1700-1770とする文献[1]もある。

出典

  1. ^ a b 明安図」『世界大百科事典(旧版)』株式会社平凡社https://kotobank.jp/word/%E6%98%8E%E5%AE%89%E5%9B%B3コトバンクより2026年2月16日閲覧 
  2. ^ a b 森川 2008.
  3. ^ a b c 羅 1999, p. 65.
  4. ^ 今村 2010.
  5. ^ Дамдинсүрэн 1978.
  6. ^ Minggantu - ブリタニカ百科事典
  7. ^ a b c 羅 1999, p. 66.
  8. ^ Larcombe 1999; Luo 2013.
  9. ^ Martzloff 1997, p. 357.
  10. ^ Martzloff 1997, p. 32.
  11. ^ Martzloff 1997.
  12. ^ a b Luo 2013.
  13. ^ 羅 1999, p. 72.
  14. ^ JPL Small-Body Database Browser on 28242 Mingantu”. NASA (2003年10月2日). 2012年3月26日閲覧。
  15. ^ 羅 1999, p. 73.

参考文献

関連項目

外部リンク